「言葉」による説明では「話し手」の意図と「聞き手」の捉え方によって完全に伝えるのが難しい、という話
ここのところ「言葉」にまつわる記事をいくつか書きました。
とか、
とか。
自分の思い描いてることを人に伝えたい時、人間はまず「言葉」を使って、喋って説明します。紙&ペン要らずで、いつも持ち歩いている「口」が手っ取り早いから...。
話し上手な人もいれば、反対に説明がヘタクソで口ベタを自認している人もいるかと思います。僕は圧倒的に後者......。
落語家やお笑い芸人さんなんかには、ホントに「話し上手」な人が多いですね。噛まないし、話の順序立て、落としどころがキチンとあって…商売だからと云えばそれまでですが、上手に話せるように訓練、稽古などの努力をしている人もいれば、なかには天性の「話し上手」もいることでしょう。話に引き込む何かしらの魅力を持っているんだと思います。
圧倒的に話し下手、口ベタな僕ですが、その理由として自分で分かっていることもあります...
- 声がこもって、相手はきっと聞き取りづらい...と思い込んでいる。
- 順を追っての状況説明がヘタクソ。
- 頭で思っていることを整理して順を追うように構成するまでに時間が掛かる。
- 最も伝えたいことを最初に言いたくなるw。
- 噛む。
- 年を重ねるごとに頭ではイメージ出来ているはずの事が「言葉」として出て来なくなってきている。
こんな感じ。
……明らかに「話し下手」の典型。最後のが追い討ちをかけている。
ま、人間、長所短所は持ち合わせていて、「話し上手」が良い「聞き役」も兼ねているか!?と云えば、必ずしもそうではなく...。どちらかと云うと、「話し上手」はそれを自覚している為、その快感も手伝ってかw「聞き上手」に回るより「話し上手」の方を選ぶことの方が多いのでは!?と勝手に思っています。「話し上手」を「陽」だとすれば、「聞き上手」は「陰」。対極に位置する訳で、大抵の人はどちらかに傾いていることが多いという事。
適正は人それぞれで、「話し上手」になれない人は「聞き上手」になればいい訳で、「聞き上手」も見方によっては「話し上手」を良い氣分にさせる意味で、役割としても重要かと思います。
特に女性は話すことで、ストレス解消に繋げている人って多いです...と思います。概ね、男性は「聞き上手」であることが優位に働くことが多い、というのは僕の偏った見方でしょうか!?
身近にいる女性である僕の奥さんもお喋りが大好きな一人です。友達とお茶したら、何時間でも喋れるみたいです。
ただ、特に上級の「話し上手」と云う訳でもなく...ゴメン(汗)、説明が長くなって、繰り返しの状況説明などが登場すると、聞き役である僕は「さっき聞いたよ!」と、それを指摘するよりも黙って聞いている方が棘がなくてい良いだろうと云う思いから、じっと堪えていることもあります。同意してくれる人もたくさんいるかと思います。
で、たまに就寝時間での「聞き役」時には、長めの説明が良い感じの子守唄代わりに…本氣の眠氣に襲われて意識が飛ぶこともしばしば。そんな時のキラーパス「聞いてる!?」にドキッとさせられて、咄嗟に「聞いてるよ」ってw。
眠氣襲来時間帯以外は基本的には本当に聞いてるんで…そろそろ「聞いてる!?」攻撃が来るな、という時には「聞いてるしっ!」って連鎖反応のように言うんですが、実は、本当に聞いてない時もあったりします。世の男性諸君、同意お願いします。
と云うことで、「話し上手」にはなれずとも、聞いてもらうことで満足する人がいるのならば、「聞き役」の上級者「聞き上手」を目指すのも良いのかな〜なんて思ってる次第です。
ただ、「聞き」の能力が上級レベルの「聞き上手」に達すると、ただの「話し好き」を助長、勘違いさせてしまって、自称「話し上手」を生み出してしまい、次もまた付きあわされる羽目になるという危険を伴うかも知れません。「話し好き」も上級者「話し上手」を目指す必要はありそうです...。お互いの為にも。
「超〜面白い」「超〜惹きつけられる」ような「話し上手」に出会った経験は誰にでもあると思います。
友人との会話、職場の上司、同僚との会話などの少集団から、テレビの中の芸人さん、結婚式などでの「スピーチ」等、多くの人の面前でも臆することなく出来てしまう「話し上手」。色々な場面で出くわします。
頭の中で「話」の構成を瞬時に行い、即興で喋れる人、準備された「話」をあたかもその場の思い付きの様に喋れる役者のような人。
とは云え、僕が「話し上手」だと感じた人を、同じ様な状況で聞いていた人がみんな「話し上手」だと思えるか、と云えばそうではない場合もあります。
「聞き手」の状態、時期、琴線など捉え方が違えば、心に響く場合もそうでない場合も。
「話し手」の状態もしかり、声質、口調、強弱、抑揚など、色んな要素も絡んできて…。
「話」の内容がよく練られているか、そうでないか、それを原稿を読む様に話すのか、あたかも即興の様に話すのか…。
「話し手」と「聞き手」のコラボで結果は決まる訳です。
また、「言葉」「言語」の特性として、喋りだけでなく、文字に起こして伝える方法もあります。
ブログ記事なんかは、公開する前に何度も読み返して修正が効くわけですから「話し上手」でない僕には喋るよりは向いているのかなぁ〜と。
喋りではない方の文字起こし「書物」で、状況説明、話の構成などを上手に伝えることの出来る作家も「話し上手」に入りますね。「言葉」という道具のみで多くの人にイメージを伝える訳ですから...。
時間を掛けることが出来る文章でも「話」の構成が無茶苦茶なら伝わりづらいし、読みたくなりませんから、こちらも努力、才能が必要になってくるとは思います。
また、「作り手」が上手に出来たと思った「話」も「聞き手」「読み手」の捉え方一つで、「作り手」の意図することが上手く伝わらない場合もあります。
人氣お笑い芸人の話術、ベストセラー作家の作品というのは、「捉え方」が人それぞれ、千差万別というなかで、時代の流れの中のニーズを嗅ぎ取る能力、割合多くの人に似たようなイメージを伝えられることが出来る能力に秀でているんだろうな~と思います。
逆に、大衆の心を掴んでいる「人氣お笑い芸人の話術、ベストセラー作家の作品」の「話」でも、少しも響かない人もいる訳ですから、「聞き手」「読み手」の「捉え方」次第ってことですね。
「作り手」が全く意図していない方向の「捉え方」をしてくれる「聞き手」「読み手」もいたりして、「作り手」には思いもよらなかった、良い意味での共感を呼んだり、反対に炎上したり、というケースもあります。
こんな所からも「言葉」による完全に伝えることの難しさが伺えます。
「話し手」と「聞き手」のコラボが故の、この「言葉」を用いた意思伝達方法の「ブレ」「曖昧さ」が良い部分でもあり、悪い部分でもあると言えるのかも知れません。
この「ブレ」や「曖昧さ」をもう少し排除できるのが「視覚的」に伝える「映像」を伴ったもの。
技術発展によって「静止画」である「絵」「写真」より、時間経過込みの事実をそのまま見せる「動画」が人氣のこの時代をみても分かるように、人間は伝えやすい、伝わりやすい方向へ移行してきています。「ブレ」「曖昧さ」を認めた上での模索なんだとろうな、と。
人間が究極に目指しているのはこの「曖昧さ」が一切排除出来る「テレパシー」じゃないかと思います。
スピリチュアル的な見方で、元々備わっていた人間の「テレパシー能力」を取り戻そうとする欲求が、潜在意識の中で蠢いているのではと...。
とは云え、まだまだ、地球上のほとんどの人間が「魂磨き」の為に、三次元物質主義を必要とする限り、足かせ的な道具「言葉」を用いた曖昧な世界が続き、「テレパシー能力」の発現は抑えられるんだろうなぁと思っている次第です(笑)。
って、記事書きながら、伝わりづらい内容になっているような氣がしてならない僕でした。
でも、ま、いいやっ、「言葉」は完全に伝えるのが難しい道具...。
喋って噛むより、脈絡ないより...文章にした方がまだ...
「捉え方」やし...いい感じで捉えてもらって...
他力本願...
言い訳......
今日もありがとうございました。