琥太朗ブログ

色んなことをちょいちょいスピリチュアルな視点で捉えてみる話…てかオカルト的…陰謀論的な話とも云う。

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「幸薄い」感に…何故か惹き付けられる。「何故か」の裏には何かのヒント・サインが潜んでいる。

 唐突ですが、このアニメのキャラ知ってますか!?

 新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイ

  

 

涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希

  

 

交響詩篇エウレカセブン」のエウレカ

  

 

心が叫びたがってるんだ。」の成瀬順

  

 

 

 これらのアニメに登場する女子キャラ達に、僕が共通して感じてしまうのが「幸薄い感」です。

 

 ………何となく分かってもらえますか!?

 

 僕は、このキャラクター達のような「幸薄い感」を醸し出している現実の人を見ると、応援したくなり、味方になってあげたくなり、氣持ちを楽にさせてあげたくなったり、励ましたくなり…と云う衝動に駆られます。

 余計なお世話かも知れません…その場合はごめんなさいっ!

 「暴漢から守る」とかの直接的体力的な意味合いではなくて、どちらかというと人見知りの僕なので、陰でそっと見守りつつ、何か起きた有事の時は味方になるというスタンスなんですが…。

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 スピリチュアル的に分析すると…きっと、前世、過去世で何かそういった「陰でそっと見守る」とか「何か起きた時は味方になる」ようになる為の伏線人生を経験したことがあったんだろうな~と云うことになりますw。

 そして、潜在意識下で、そういった感情が蠢くんだ、と。

 

 奥さんと最初に出会った時もそんな感じを抱いてしまって、直接本人に「幸薄い感」が良いと言ったことがあります。今思えば、言われた本人はどう思ったんだろう!?って反省もしてます、「幸薄い」って(汗)。

 自信なさげ、虚弱、色素薄い、ひとりぼっち、孤独な存在を目の前にしたら、元氣付けたい、守ってあげたい、味方になってあげたい欲に駆られますよね…それを言いたかったのに「幸薄い」って。

 言葉足らずだと悪い意味に捉えられかねませんので、氣をつけましょうw!

 

 で、先の「子ども登場限定ハートウォーミング映画」の記事で「幸薄い」についても書いていた訳です。

 僕が思うにダコタ・ファニングフレディ・ハイモアの雰囲氣がまさにその代表格!

  

kotaroh.hatenablog.com

 

 愛娘が生まれて、日々過ごす中、赤ちゃんは想像していた以上に小さくて、か弱いことを知った訳ですが、赤ちゃんのようなか弱いものに対して「守りたい」という感情が湧くのは当然なんです。

 僕のいう「幸薄い」は体力的に弱者の赤ちゃんに対するそれとはちょっと違って、体力的には一人で一通り何でも出来るけど、なんか放っておけない感じ…上のアニメの「幸薄い」キャラを観て、若い頃の奥さんと雰囲氣が似ていて…この「幸薄い」感に自分が揺さぶられることに何となく氣付いて、今となっては自分にそういったモノに惹き付けられる傾向があることをハッキリと認識している、に至っている訳です。

 

 誰しも人に対して「手を差し伸べたい」という氣持ちは大なり小なりあるだろうし、その対象が「頑張っているけど空回りしてる人」だったり、「体力の衰えた高齢者」だったり、と若干の違いはあることと思います。若干の違いというのは、人それぞれの人生の命題が違うのと同じことだとも云えます。

 最近「目の前のおばあちゃん助ける、助けない」の話がありましたけど、人それぞれの感じ方、タイミングなど色んな要素が絡み合った結果の行動、言動であって、批判したり、批判されたり出来る部分でもないように思います。自分の選択は自分以外の誰からも批判されるべきではないです。批判する権利もないですね。

 スピリチュアルの観点からみると「人の役に立つ」「人の為」というのは人生のなかでの主目的のひとつである「徳を積む」ことへのヒント、サインであるという見方も出来ますので、こういった何かに惹き付けられるような感覚を素直に受け止め、大事にして、自分なりに解釈し、自分が出来ること、自分しか出来ないことをすれば良いんだろうなと思っている今日この頃です。

 

 自分の感覚、感情なのに「何故だか…」「理由は分からないけど…」惹き付けられる事や物があったら、きっと潜在意識の仕業なので、そこにはヒント・サインが隠されているかも…「根拠のない自信」を持って突き進んでも良いのかも知れません!

人間万事塞翁が馬

 

 

  今日もありがとうございました。