人生どんなチョイスも「正解!」の巻
⇧の記事で「病氣」からの「氣付き」のことを書きました。
「病氣」と云うのは「病氣」になった本人のみならず、家族や友人といった周りの人にも「氣付き」を促すことが往々にしてあります。
例えば...
「うちは癌家系だから、食べ物、習慣には注意を払わないと、癌になって早死にしてしまうよ!」
なんてことはよく耳にします。子孫である子どもや孫といった、まだ癌になってもいない人の意識、行動に影響を及ぼす訳です。
これなんかも「ああ、自分は癌になり易いんだ、氣を付けないと...」から「自分が癌になったら、早死にして家族につらい思いをさせてしまうな...」とか色んな状況を想像し、それに対処しようという氣持ちにさせる、と云う意味で、ある種「氣付き」の一つになるんじゃないかと思います。
ここ最近は意見が合わず、どちらかと云うと嫌いになりかけていた家族の一人が突如「病氣」になって弱々しくなっていくのを目の当たりにし、過去に楽しく触れ合っていた頃を思い出して、「許す」「優しくなる」など、相手の「病氣」が切っ掛けとなって考え方が変わる、なんてのも一つ。
「病氣」になることが...「病氣」になるのが自分の場合でも、そうでない場合でも、その後の人生の方向を変えてしまうほどの「氣付き」の切っ掛けになることが多々ある訳です。
「病氣」切っ掛けの「氣付き」以外にも、この世の中には「氣付き」を得る切っ掛けはもちろん山ほどあります。
他人の行動を見て、尊敬の念を抱いて自分も同じ様にしたい!と見習って真似してみたり、或いは反対に、自分はああはなりたくない!そうはしたくない!と反面教師にしてみたり...。
映画、アニメ、芸術作品を観て、感動して驚嘆して...大いに影響を受け、その他の作品を無駄とも思えるほどアホほど観たり(僕のことですw)、人を感動させたいと思って自分でも作ってみようと思ったり...。
物事、事柄に対しては、何かしらの反応が必ず付いて回ります。
なんなら、この世で起こる出来事は、大きい小さいは別にして、誰かの「氣付き」の為にある、なんて見方も出来るくらいだと思います。
誰かが「氣付く」ことによって変化が生じ、それがまた他の誰かの「氣付き」になって、無限大に影響を及ぼしていく感じ...その為の三次元物質世界。
映画「ペイ・フォワード」思い出しました。
うっっ、dTVでは現在コンテンツに無かった...残念。
この世の中、全てのモノが影響し合っているんだなぁ~と思う次第です。
「バタフライエフェクト」ですね。
スピリチュアル界でよく云われる「人間は地球上では、それぞれが役者で、それぞれの役をそれぞれのタイミングで演じている」。
つまり、一人の存在が綿密な人生のスケジュールを持っている。別の綿密な人生スケジュールを持った一人と、あるタイミングで絡み合い、コラボすることによって実体験の場が発生し、互いに「氣付き」を得る。
ある時は善玉役、ある時は悪玉役。スケジューリングされた絶妙な配役でそれぞれの役割を全うし、お互いに「氣付き」を得るために演技していく、と。
その場面が終了したら、友人、仲間になって、引き続き共演し、違う「氣付き」を得る場合もあるだろうし、一つの場面を終了したら、以後のお互いの人生には全く接点が無くなる、一回限定の「氣付き」ゲット設定である場合もありますね。
自分の80年分のスケジュール表と他人の80年分のスケジュール表がどこかの時点で交差する。
しかも、地球では選択の自由があるので、ある時点で真逆に進む場合のスケジュール表もある訳です。選択によっては違った未来も用意されていて、枝分かれした場合のスケジュール表もあらかじめ準備しているということに...。
今、世界の人口が75億人を超えています。
人間だけでもこの数字で、魂が宿るとされる動物、植物などとの絡みでも「氣付き」を得ることもあるでしょうから......もう天文学的な個のスケジュール表が存在することになります。
選択の自由によるパラレルワールド分のスケジュール表もある訳で、それぞれがどんなタイミングで接点を持ち、影響し合い、「氣付き」を得る場面を生んでいくか.......これを全て綿密に組み合わせるなんてことは、もはやどんな天才的頭脳を持った人間でも無理なことは明確で、言葉通り「神業」でしか出来ない領域です。
地球に転生するのは「魂磨き」が目的であって、大げさに感じることが「氣付き」には効果大である、と云う魅力に惹かれている為です。
どんな「氣付き」を得たいのかを「魂磨き」の先輩である守護霊のようなスケジューリングが得意な超絶ジーニアスの大いなる存在たちと共に協議、相談して作成したスケジュール表を携えて、自ら希望して地球に転生して来ている、と云うこと。
地球上での「氣付き」は、感情に訴えるものが大きければ大きいほど効果的で、初めて経験する的なサプライズ要素がこれを更に高める為に、地球に転生する条件として、当初の目的を記憶喪失状態にさせる顕在意識状態を基本としています。当初の目的の完全忘失防止の為、潜在意識の中に残してはいますが...。
自分の数あるスケジュール表の全てを地球上での顕在意識レベルでは忘れてしまっているような感じではありますが、人生の岐路と云われる場面で、どのような選択をしても、それは決して「間違い」では無いんです。
転生前に準備してきた数あるスケジュール表の一つをチョイスしたというだけで、確実に「正解」な訳です。
どんな選択でも、その先にはスケジュール表があって、そのスケジュール用の「氣付き」が用意されているんですね。
「やりたいようにやる。」だけ。
これで良いんだと思います。地球転生前に自分で決めてきたスケジュールを少なくとも一つは実体験できる訳ですから。
だから、「こうしたい!」「ああしたい!」と自分の好きなようにやる!
時折、自分が予想したこととは別の「やっちまったな~、失敗した~」と一見悪く見えるような結果が目の前に出現することがありますが、所詮、三次元物質世界地球での「切り離された」顕在意識の感想でしかない…目の前の事に注意を払いがちな人間の特徴っていうだけのこと...。
人間の理解を超えた一歩二歩先に繋がっていて、時間が進んで初めて「ここに繋がったんだ!」「そういうことだったのか!」と理解して「オッケーだったんだ~!」と思えることも多々あったり.....しますよね。
よく言い表している故事があります。
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」
国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。 それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたというこのことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われる。
て、ことで...
あがいてあがいて、荒波に逆らうように真正面から突っ込んで、血ヘド吐くほど苦労、努力するスケジュール表もあるだろうし...
のほほ~んとまったり、ただ存在していることが奇跡だと感謝して生きていくスケジュール表もあるだろうし...
前半、荒波から~の後半まったりコースもあるだろうし...
自ら設定してきた数あるスケジュール表のどれをチョイスするかは自分次第。人に何と言われようがチョイスするのは自分自身で全て自分次第。
ただ、転生前に無数に用意したスケジュール表の中にも、「氣付き」効果絶大の本命スケジュール表があると思いますので、「魂の叫び」や「直感」をヒント・サインにして「選択の自由」と「引き寄せの法則」も念頭に置いて、思考、意志、意識の状態をチョイスしていけば良いのかな~なんて思っている次第です。
結局…
どんなチョイスも予め自分で設定して来た数ある人生スケジュール表の中の一つであって、絶対に「正解!」
…っことなんだろうと思います。
緩やか〜に動いている時もあるし…
穏やか〜に流れている時も…
少し荒々しい時…
激しい時…
全部受け入れて...流れに身を任せても...
反骨精神むき出しで抗っても...
最後には、あぁそういうことだったのか~、としみじみと思う時が来る。
...はずw。
今日もありがとうございました。