「衣食住」の最低レベルを考えると氣持ちが楽になって、優しく穏やか~になれる!という話
誰でも一度は考えたことあると思います.....
「好きなことだけして、ゆったりまったり…なんなら、猫みたいに生きたい!」って。
現実的に考えると、人間が生きていくためには最低限の「衣食住」が揃ってないと無理っ!って、思いますよね。しかも、最近はその最低限のレベルが上の方になってます。
衣食住を維持していくには「お金」が必要になるし、レベルを上げる為に「お金」はたくさん無いと不安...多く持ってた方が精神的に安心出来ると思います。少すぎると恐怖心さえ沸いてきます。
いつの間にか「生きる」=「お金」みたいな構図が出来上がっていて、一昔前より今、この傾向がより顕著になって来ていると思います。
お金がないと生きて行けない!と云う恐怖心の煽りが、人間の性分をさらけ出させていると云う側面もあるのではないでしょうか。
「人を踏み台にしてでも優位に立っていたい」とか、「人のものを奪ってでも生き残りたい」とか、その他いろいろ、誰しもが持つ「善人としての視点」からは程遠い行動を取ってしまったり、陰湿な思考を持ってしまったり…。
で、考えてみたんですが…っていうかここ数年思ってるんですが、考え方によってはこの恐怖心を結構クリア出来ちゃったりするんですよね。
例えば……
「衣」
僕、もともと衣類(おしゃれ)に関してはあんまり興味がなくて、なんなら全部100円ショップで揃えられるんなら揃えてもいいと思ってます。
ただ機能性、耐久性に重きを置くほうなので「安かろう悪かろう」に遭遇することもあります。失敗して経験値増やして、買い直しの際は長持ちするものをチョイスするようにしています。長いのでは10年以上前に購入した服でもまだまだ現役!っていうものまであります。擦り切れて生地が薄くなっても逆に味が出て良いかも(と思い込んでるw)。
パンツもボロボロになっても捨てるのには氣が引ける方だし…モノに妙に愛着が沸いてしまうんです。思いの外、長持ちする「当たりパンツ」に巡り会ったりもしますね。基本的に綿100%が長持ちすると体感してますw。
季節ごとに衣替えする、下着以外の通常の服は、それぞれの季節で何度か使用するだけなので、そんなに傷まないですよね。
なので、10年前に撮った写真を見て、今と同じ服来てる時もあったりw…物持ちいいな~と自分を褒めてやりたくなったりします。
結果的に余程のことでもない限り新調することはありません。
靴下に穴が空いたら、今どき滅多に居ないと思いますが、縫って使い続けたりもしています。100円ショップで買った裁縫セットで。小学校時代の家庭科の授業が役に立った実例w。
リゾバやってると派遣先が変わる時には引越が伴います。衣類が多いと結構な荷物になる訳です。
今現在5年位経ってるんですが、1年間の衣替え用のダンボール1個とキャリーバッグをタンス代わりにして入れている下着類とで、ダンボール実質2個位の衣類のみでずっと過ごしています。ある意味断捨離し切れていて、ホントに必要なものしか持ってない…。
多分、日本中でも「衣類あんまり持ってない種族」上位に入ってると思います。
だから、衣類に掛ける「お金」少ないです。
「食」
人間の活動のエネルギー源を考えた時、間違いなく「食べ物」が頭に浮かぶと思います。
だから「仕事」も「食べる為!」と云うのが主な理由になっているし、人間が生きていく為の最低限の条件として、食べられずに餓死する恐怖心を打ち消す為!と云うのが根底にあり、その延長上にがむしゃらに働いて高給を目標とし、高給を取るために嫌いな勉強したり、人より優位に立って安心感を得る為に少しでも出し抜ける所は出し抜いて、人を利用して踏み台にしてしまうという仕組み。
現代は半ば強制的にそういうシステムになってしまっていると思うんです。
僕は少食が健康の秘訣だと思っているし、なんなら不食もあるのでは!?なんて考えも肯定的です。
不食を実践できる、または、実践している人がいる...と云うことを知れば、自分もできる可能性があるんじゃないか…みたいに思えて不安が軽くなります。
少食が免疫力を高める、と云うことを知ることも援護射撃に一役買ってくれます。
今はリゾバの賄いを食べて自炊から遠ざかってはいますが、マクロビオティックをほぼ実践出来ていた頃は、玄米、味噌汁、漬物、その他ちょっとしたおかずだけで十分に健康維持してたし逆に体調も良くなったりすることも体験してますので、高価でぜいたくな食べ物は無くても全然平気です。
大災害が起きて壊滅的なダメージを受けた世の中になったとしても、その辺に生えてる草でも食べて生きて行けるんじゃないか!?という何の根拠も無い自信まで持ってますw。
だから、「食」に対してもレベル下げるのは僕にとっては簡単かなぁ、と。
「住」
子どもの頃、そこそこ貧乏でw「自分の部屋」っていうものを持ったのが高校生になった位だったことが影響してか、大人になったら「自分の家」というものを絶対に手に入れたい!と思っていました。
そして、念願叶って35年ローンで分譲マンション買いました…。愛娘には「自分の部屋」なるものもあげたかったし、ゆくゆくは相続できる「家」を残せたらいいな!って思ってました。
でも、その後、環境の変化があって、固定資産であるが故に縛られてしまうことに氣づきました。というのは、愛娘が不登校ぎみになった時、引越で新たな環境を試す手段を取ろうにも、マンションのあるその地域から簡単には離れづらい状況を作り出してしまっていたんです。
そんなこともあり、考え直してみる機会を得た訳です。
そもそもローンを支払い終わって、やっと「自分のモノ」になった時は35年たっている訳です。そんなボロボロのマンションを愛娘がほしいと思うか!?と。
愛娘は本心では「いらない!」と思いながら、管理費、修繕積立金(分譲マンションにはついて回る費用)、固定資産税を払っていくことになる訳です。恩恵どころか、「親の思い」に氣を遣うことで、身動きとれない状況にもなり得ることが想像できるし、邪魔にしかならないんじゃないか!?と思えてくるように……。
で、売りましたw。
マンションではなく一戸建でも然り…修繕も必要となるだろうし、固定資産税が掛かるのは当然同じ。
一般的に、日本の住宅文化は30~40年寿命と云われていて(最近は100年目指す感じにはなっている模様)、欧米の100年以上と比べてもかなり短いです。この年月が到来すれば建て替える必要に迫られる.....。
「持ち家」にこだわる動機が、ステータスのシンボル的なものだとしたら、コスト的にはかなりのものですよね。
多くの人は「持ち家」のローンの為に馬車馬のように働かざるを得ない状況にもなりそうです。
そんなことを考えると賃貸でいいかなぁ、むしろ賃貸の方が縛られなくて自由だ、なんて今は思ってます。
おまけに、今僕はリゾバやっているので、住宅が必要でなく(実質的には実家に住民票は置いているので、これは必要かな...)、必ずしも無くてはならないと思わなくなってます。
実体験で完全に考え方が変化した訳です☯。
ってことで、そこそこお金掛からない生活出来るんじゃないかな~と本気で思っている訳です。
衣食住のランニングコストを下げると、馬車馬のように働くことから開放されます。
「お金を稼がないと...」と云う恐怖心やストレスから開放されると、感情は穏やかに、優しく、健康になるんだろうなぁと推測できる訳です。
言い方変えると「貧乏から得るものは多い!」。
いやっ!決して「貧乏」を望んでいる訳ではありません...。
「となりのトトロ」のサツキとメイの家とか、「おおかみこどもの雨と雪」の花と雨と雪の家のような古民家で周りに田畑があり~の、家族が食べる分だけの米、野菜を無農薬で自給自足つつ、味噌や醤油も手作りして...仕事は在宅で...、猫飼って...ストレスなんかなくて、晴耕雨読を地で行く様な生活......
を妄想してしまいますw。
「半農半X」ってやつですね。
「お金」が掛からない生活を習慣付ければ、そんなのほほんとした暮らしも出来るよなぁ…
引用元:Wikipedia サツキとメイの家(愛知万博開催時撮影)
引用元:Wikipedia 花と雨と雪の家のモデルとなった家(富山県上市町にあり、基本的に日中は見学可能)
まあ、でも、突き詰めすぎると...
全裸で自然からの恵みを食べながらの洞穴暮らし......になりかねませんので……
これくらいがちょうど良い!?
猫、デカい…
今日もありがとうございました。