行動、言動の動機は「愛」それとも「恐れ」!?
何かの言動または行動する時って、「動機」がありますよね。
大きく分けて2つあると思うんですね。
その動機が「愛」からのものなのか「恐れ」なのかで全然違う。現れる「行動、言動」が見た目同じに見えたりするのでややこしいんですがw…。
例えば、駅のホームで進む先に階段があります。
お婆ちゃんが重そうな荷物を横に「登れるかいっ!」って感じで途方に暮れているとします。
違うかっ!やり過ぎw…
「あ、大変そうだ!僕なら素早く簡単に持って上がれる。もしかしたら、病気の孫の所へたくさんのお土産持って御見舞に行く途中かも知れへんくて、次の電車逃したら今日はもう行かれへんくなるかも知れん。お土産いっぱいのお祖母ちゃんw来てくれたら、お孫さんも喜ぶやろなぁ!お婆ちゃん、持ってあげるよ!」
か、
「あ、大変そうだけど、見ず知らずの人やし、氣付かんかった振りして通り過ぎよっ!重そうやし。こっちもサラリーマンで日々疲れとんねん!でも、後ろの女の人もこの状況見てて無視する僕を『なんて奴だ!この不親切野郎!それでも男か!』と思うかも知れへんから、やっぱ、しょうがないから持ってあげよう!」
と、二人とも同じような満面の笑顔でお婆ちゃんに声を掛ける場合、行動自体は同じでも、もともとの「動機」が、最初のパターンは人に対する親切心とか愛、後のパターンは人からどう思われるか心配している恐れ、恐怖心。
ってことなんですが(分かり辛い…)。
例え話が……バリアフリー増えている昨今、エレベーター・エスカレーターあるやろ!って突っ込みたくなる所は見逃して下さい(笑)。
行動、言動には、「愛」か「恐れ」のどちらかがもともと存在していて、そのどちらかが人を突き動かしている、と言えるんではないでしょうか!?
「動機」が「愛」でも「恐れ」でも、傍から見たら同じようにみえる現象が現れちゃうんです。
仮に人間が「テレパシー能力」を標準装備していたら、本心バレバレ状態で「動機」が丸裸ですよねw。
一般的には「テレパシー能力はない」状態が前提でw、実際の行動、言動が他人の目には映るんです。「動機」は自分にしか分からない訳で…。
「動機」がバレないから「利己的」になるか、あるいは「利他的」になれるか!?
ここに物質至上主義社会の妙味があると思うんですよね。だからこそ、地球に生まれてきてると…。
人生において、いかに「利他的」になれるかが、究極の目標ではあると思うんですが、なかなか難しいですよね…。
それぞれの状況で自分に余裕がないとね…(汗)
- 自分の健康状態
- 自分の経済状態
- 自分の生活環境
- 自分の精神状態
などで、余裕の度合いも違って来ますし、一日の中でも精神状態変化したりするし…さっきまで余裕あったのに、今テンパってる!なんてことザラにあるし…。
元来の性格も含めて、余裕のある状態を保って「利他的」に行動できたら「死に際」に納得できるんだろうな~!と思っている次第ですwww。
敢えて、自分から最低の状態に持っていって「利他的」に行動する!という強者も居るとは思いますが(汗)…。
とは云え「一般的にテレパシー能力ない世界」でも「感じ悪っ!」とか「感じが良い!」という波動は相手に伝わるような氣もする訳です。
この感覚が直感にしろ何にしろ見え隠れするのは、ヒント・サインなんだろうな~!「隠した所でバレてるぞ!本心から『利他的になれる様に修行しろ~!』」なんて、何者かに云われているような氣がしないでもない今日この頃です(笑)。
今日もありがとうございました。